メガテン(女神転生)をきっかけに神話好きになったフレイニャです。
今回は北欧神話の女神フレイヤとフリッグ(フリッガ)が同一の神であるかどうかを,同一説に好都合な言説と,不都合な言説を取り上げたのち,私なりに考えます。
同一説に好都合な言説ないし事象
(1)名前が似ている
フレイヤ(Freyja)とフリッグ・フリッガ(Frigga)は名前が似ており,ともに金曜日(Friday)の語源と言われます。
(2)夫の名前も似ている!
フレイヤの夫はオーズ(Óðr,Odr),フリッグの夫はオーディン(Óðinn,Odin)です。妙に名前が似ていますね。更に言えば本人のみならず,配偶神まで似ているというのは怪しいです。
(3)夫の性格にも似ている点がある!
オーズはたびたび独りで旅にでかけ,そのたびにフレイヤは夫を探しに行ったそうです。私が全訳した「Asgard Stories 12」「Asgard Stories 13」でもそのシーンがあります。日本語訳だけ引きます。
“まもなくパーティーの時間になりましたが,フレイヤはオーズがいないので行く気になりませんでした。彼女は座り込んで悲しそうに涙を流しました。彼女はネックレスを持っている喜びを感じず,エーシルとパーティができなくても悲しくもありませんでした。オーズさえ戻ってこれば,それで十分なのです。「この世の果てまで探しに行くわ!」とフレイヤは言って旅支度をしました。2匹の猫が引く車はすぐに出発の用意ができました。しかし出発する前に父なるオーディンに許可を貰う必要がありました。”
オーディンも万物を統べる立場であるため,皆の様子を観察しによく放浪の旅に出ています。
死んだ戦士は,オーディンとフレイヤの約定により,半分がオーディンのヴァルハラへ,半分がフレイヤのフォールクヴァングへ行きました。なぜオーディンと対等の権利をフレイヤが持っているのでしょう!?
同一説に不都合な言説
(5)性格に対照的な点がある!
どちらも愛の女神の面を持っていますが,フレイヤが性に奔放な神であるのに対し,フリッグは良妻賢母型の貞淑な妻のイメージです。フレイヤに関しては「Asgard Stories 12」の一節を引きます。
“「おいくらでそのネックレスを売ってくださる?」フレイヤは尋ねました。ドワーフ達は仕事を中断して顔を見上げ,フレイヤのきれいな顔を見,かわいい声を聞くと「ああ,俺たちに優しい顔をしてくれて,友達になってくれるなら,ネックレスをあげるよ!」と言いました”
「友だちになってくれるなら」とドワーフ達は言っていますが,この本は児童書であり,ウィキペディアによるとこのドワーフ4人と4夜を共にしたそうです。
(6)フレイヤとオーディン・フリッグが同時存在している場面がある
フレイヤ=フリッグ,オーズ=オーディンならば,フレイヤとフリッグ,フレイヤとオーディンが同時に存在してはなりません。しかしフレイヤは失踪したオーズを探しに行く前に,オーディンに許可を求めて認められています。ロキの口論(ロカセンナ)において,フレイヤもフリッグもロキに侮辱されています。
(7)フレイニャの見解
これはウィキペディアにも書いてあったと思いますが,フリッグはフレイヤの成長した姿,オーディンはオーズの成長した姿だと捉えることができます。向こう見ずで性に奔放なフレイヤが,成長して良妻賢母になったというわけです。
同時存在に関しては,もうこれは神話・伝説だからというほかないでしょう。バルドルはロキの奸計によって命を落としますが,ヘルモーズはヘルの国(ヘルヘイム)に行ってバルドルと会い,言葉を交わすのです。そういった人間の世界ではありえないことが,神話の世界では起こりうると考えればよいでしょう。
(2)(3)もそうですが,特に私は(4)が大きいと思いまして,フレイヤ=フリッグ説を採りたいと思います。
もちろん正解はありません。神話・伝説というのは解釈です。信じられている,伝わっている場所・時代,また宗派によって,解釈は変わりうるのです。
そういう意味では,フレイヤとオーディン,フレイヤとフリッグが同時存在している場面があるのは,フレイヤ=フリッガ同一説を取らない宗派の物語なのかもしれません。現に『アサシンクリード・ヴァルハラ』では女王フレイヤが登場し,フリッグは登場しないのです。