フレイニャのブログ

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Wikipedia戦国史(1) 二階堂阿南(おなみ)

Wikipediaの知識のみで戦国時代の小説を書いてみようという試みです。

三国時代於夫羅や劉豹,劉淵について書いたものはこちらです。

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日本の戦国時代に挑戦するのは初めてですが,第一弾として二階堂阿南(にかいどうおなみ)(阿南姫)を取り上げます。

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伊達家は養子縁組など,縁戚関係で勢力を安定化させてきました。

例えば伊達晴宗(15代,1519-78)の長男は岩城親隆(いわきちかたか)です。晴宗の長男が岩城家の跡取りとなったのです。

私はこれを知った時,なぜ次男以下ではなく長男を岩城家に出したのか不思議でした。まず岩城家伊達家ほど勢いはなかったと思われます。岩城重隆(伊達家から岩城親隆を受け入れた当主)は一度伊達家に敗れ,長女の久保姫(くぼひめ)晴宗正室に差し出すことになりました。美少女だったと言われています。その時の約定で2人の子を岩城家に差し出すことになっていたようです。

他に長男を差し出した例として知っているのは高橋紹運(たかはしじょううん)ですね。大先輩の立花道雪から頼み込まれて断れず,長男高橋統虎を道雪の後継ぎに差し出します。これが立花宗茂ですね。高橋家は次男統増(後の立花直次)が継ぎました。

大崎家の大崎義宣(おおさきよしのぶ)伊達稙宗(14代,1488-1565)の次男つまり晴宗の弟です。

伊達晴宗の娘たちも各大名・部将に嫁ぎました(長女阿南の他に伊達実元室,小梁川盛宗室,蘆名盛興盛隆室,佐竹義重室)。

この長女阿南(1541-1602)が今回の主人公です。晴宗の後は親隆・阿南の弟輝宗(1544-1585)が継ぎましたが,阿南は政略結婚で須賀川二階堂盛義正室になりました。

二階堂盛義コーエーの「信長の野望」で面白い顔として有名な人物です。

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しかし盛義は武運つたなく蘆名盛氏(1521-80)に敗れ,嫡男を人質に差し出すことになります。

ところが盛氏の嫡男盛興(1547-74)が盛氏より先に早逝。盛氏は人質だった二階堂盛義の嫡男(阿南の子)に蘆名家を継がせるのです。蘆名盛隆(1561-84)と名乗りました。

ちょっと興味深いのは盛興盛隆の室が共に伊達晴宗の娘・彦姫阿南の妹)だということです。彦姫盛興との間に女子しか生んでいなかったため,人質だった二階堂盛義・阿南の息子が彦姫の婿となり,盛隆として蘆名家を継いだのです。阿南の妹(彦姫)が阿南の子(盛隆)の正室になったということですね。彦姫が10歳ほど年上だったようです。

ふと思ったのですが,阿南彦姫久保姫の子です。彼女らも美人だったのではないでしょうか。久保姫は六男五女をもうけ,74まで生きます。ものすごい人ですね。

盛義・阿南夫妻は蘆名家当主の両親となりましたが,盛義は合戦での傷が良くなかったのか,1581年に40歳手前で亡くなってしまいます。さらに二階堂家の後を継いだ次男(阿南の子)の行親が早逝,阿南が須賀川城主となりました。珍しい「女城主」ですね(実質的な城代は須田盛秀

須賀川城主」かつ「蘆名家当主の母」というなかなかの地位になった阿南ですが,不運は続きます。息子の蘆名盛隆が寵臣の大庭三左衛門に斬り殺されてしまうのです(1584年,24歳)。大庭は美少年であり,男色のもつれが原因との俗説もありますが謎です。

後を継いだのは0歳の亀王丸伊達家が後見することになりました。

この亀王丸は2年後,疱瘡(天然痘)で死去。盛氏の後の蘆名家は運が無いですね。

この後継ぎを巡って蘆名家伊達派(伊達小次郎)佐竹派(佐竹義広)に家中が分裂することになります。

ところで・・・

蘆名盛隆が横死して伊達家亀王丸の後見となった1584年,伊達輝宗家督政宗(1567-1636)に譲ります。まだ17歳くらいですが,元服は1577年に済ませております。

政宗は武断路線を取りました。険悪になった大内定綱や,定綱と縁戚関係のあった畠山義継(二本松義継)を攻撃,義継を屈服させますが,報復として義継伊達輝宗を拉致,この変で輝宗は命を落とします。

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政宗が父を失ったことは,武断路線に転換したことの代償と受け取ることもできるでしょう。阿南(輝宗の姉)は政宗(輝宗の子すなわち阿南の甥)のせいで輝宗を失ったとも言えます。

蘆名家のお家騒動に話を戻しましょう。

亀王丸なき蘆名家は,後継ぎとして伊達小次郎政宗の弟)派と佐竹義広佐竹義重の次男,義宣の弟)派に分かれます。この争いは「蘆名の執権」とも呼ばれたやり手の金上盛備(かながみもりはる)の働きなどにより,佐竹義広の勝利となります(蘆名義広

しかし義広に従って蘆名家に入ってきた佐竹の旧臣達蘆名の譜代家臣との折り合いが悪く,伊達家の介入を招きます。こうして起こったのが摺上原(すりあげはら)の戦い(1589)でした。

ところで摺上原の戦いの3年前,伊達家にピンチが訪れています。

伊達晴宗の長男親隆が入った岩城家は,その子の常隆の代には佐竹家の影響下に入りました(親隆の妻・常隆の母は佐竹義昭の娘であった)。また輝宗の件のためか,二階堂家の阿南とも伊達家は険悪でした。こうしたなか1586年,政宗佐竹・蘆名・岩城・二階堂らの連合軍3万と戦うことになったのです(人取橋の戦い

伊達軍は7千でした。鬼庭良直(左月斎)が戦死(享年73)するなど激戦となりましたが佐竹側の小野崎義昌が謀殺されるという事件もあり,また佐竹本国を北条・里見の勢力が狙っているとの情報も入ったため佐竹側は兵を引き,何とか痛み分けといった形となりました。

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人取橋の戦いの3年後,蘆名家の政情不安に付け込んだ政宗が奥州の覇権を賭けた決戦を挑みます。摺上原の戦いです。

伊達家側:伊達政宗伊達成実片倉景綱原田宗時鬼庭綱元(良直の子),大内定綱,猪苗代盛国,2万強

蘆名家蘆名義広,金上盛備,佐瀬種常,佐竹旧臣,猪苗代盛胤富田氏実隆実(将監(しょうげん),2万弱

猪苗代家が盛国(父)と盛胤(子)に分かれていることに注目です。猪苗代家は元々独立志向があったようですが,盛国盛胤家督を譲った(1585年)後,御妻が生んだ宗国を溺愛,また蘆名家の跡目争いでは伊達小次郎派だったこともあり,盛胤が黒川城に行っている隙に猪苗代城を奪って伊達家に寝返りました。これに伊達政宗がつけ込んだのでした。

蘆名側はよく戦って序盤は優勢だったようですが,佐竹から送り込まれた旧臣を嫌った蘆名家臣の一部は戦いに消極的で,富田氏実を初め撤退者も出て蘆名側は崩れ,数千(溺死含む)という途方も無い死者を出しました。父親(氏実)が退却してしまった隆実(将監)は奮戦して猪苗代隊・原田隊・片倉隊を退却させたと言われています。『天下統一II』で「富田将監」の軍事力が異様に高いのはそれを受けてのことですね。どちらかと言うと伊達小次郎派だったが戦いでは蘆名家に忠節を尽くしたとされています。

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当主蘆名義広は故郷の常陸に落ち延びました。蘆名家の滅亡です。

決戦を制して奥州の覇者となった伊達政宗には試練が待っていました。「奥州仕置」です。豊臣秀吉は1587年に惣無事令を出していたために,政宗の戦果は無効にされてしまったのです。蒲生氏郷が蘆名領に入りました。氏郷は黒川を若松(会津若松)と改名します。後の検地・加増で90万石ほどになりました。

東北の押さえとして秀吉に置かれた氏郷でしたが1595年に40歳で病死。後を継いだ秀行はまだ13歳で家中を統制できず蒲生騒動が起こって宇都宮12万石に減封されてしまいました。そのあとに会津に入ったのは「会津中納言上杉景勝です(120万石)

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蘆名(佐竹)義広は蘆名領を返してもらえませんでしたが,4万石程を与えられ「盛重」と名乗りました。関ヶ原の戦い佐竹義宣が西軍に就いたため所領を没収され,佐竹家の秋田入りに伴って角館1万6千石を与えられ「義勝」と名乗りました。

猪苗代盛胤義広と共に常陸に落ち延び,他方猪苗代盛国・宗国はそのまま伊達家に仕えました。 

二階堂阿南摺上原の敗戦後,政宗から降伏を促されるも拒否。二階堂家須田盛秀といった佐竹派保土原行藤といった伊達派に分かれ,行藤伊達に寝返ったりして須賀川城は落とされてしまいます。須田盛秀常陸に落ち延びて佐竹の家臣となり出羽移封にも同行しました。96歳(1625年)まで生きたと言います。

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阿南はその後も政宗の世話になることを嫌い,親族の岩城家(親隆が阿南の兄),次いで佐竹家に身を寄せました(佐竹義宣の母は伊達晴宗の娘の1人,つまり阿南の妹であった)。最後には佐竹氏の出羽移封に伴って秋田を目指し,途中須賀川に寄って生涯を閉じたと言われています(享年62)

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以上が二階堂阿南のお話でしたが,これはNHK大河ドラマが「おんな城主直虎」をやっていた時に女武将・女城主を調べて書いたノートを掘り起こしたものです。そういえば三浦春馬さんが井伊直親井伊直政:演 菅田将暉 の父)を演じていましたね。今川義元春風亭昇太が演じていたのがとても面白かったです。

同時に,成田甲斐,立花誾千代などを調べてまとめたノートもあるので,またの機会にアップしたいと思います。

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