「○○って△△の子だよね」「○○って,確か生霊になっちゃった人?」(あとは詳しく知らないけれど)と最低限いなすことができることが目標です。全く知らない人やあやふやな人向けです。参考資料は例によってウィキペディアです
■桐壺帝(きりつぼてい)
光源氏が生まれた時の天皇で,光源氏の実父。光源氏23歳の時に崩御。モデルは例えば醍醐天皇(在位897~930)
■桐壺更衣(きりつぼのこうい)※「桐壺」という帖がある
桐壺帝の妻の一人。位が女御より下だったので,更衣だったのだろうと読者が推測して,そう呼ぶようになった。桐壺帝に寵愛される。光源氏の実母
大納言の娘だが,大納言は入内前に亡くなっており後ろ盾がない
後宮の七殿五舎のうち,淑景舎(=桐壺)に住んでいたからそう呼ばれる(壺・坪は中庭の意)。そして桐壺帝は桐壺更衣を寵愛したので,桐壺帝と呼ばれる
桐壺帝の寵愛を一身に受けたことから嫉妬され,イジメにあって病気になり早世(光源氏3歳の夏)。光源氏は母の面影を藤壺に見出す
■光源氏(ひかるげんじ)
桐壺帝の第二皇子。天皇の子だが臣籍降下して源氏となった。様々な人物を参考にして紫式部が創り上げた人物であり,嵯峨天皇の子だったが臣籍降下した源融(とおる),醍醐天皇の子だったが臣籍降下した源高明(たかあきら),須磨に蟄居したことのある在原行平,紫式部の庇護者かつ『源氏物語』のファンだった藤原道長など様々な人物がモデルと推測されている
官歴は “近衛中将,大将,大納言,内大臣,太政大臣,准太上天皇を歴任”(ウィキペディア「光源氏」より)
最終的に准太上天皇(太上天皇になずらふ)にまでなる(太上天皇=上皇)
※村上源氏初の太政大臣は源雅実(1059~1127)。舞楽に優れていたという
子は冷泉帝(藤壺との不義の子),夕霧(葵の上との子),薫(朱雀帝の娘すなわち光源氏の姪である女三宮との子),明石の姫君(明石の御方との子)
第41帖「雲隠」にて死んだとされる。以降(42~54)は子や孫たちの物語
■弘徽殿女御(こきでんのにょうご)
桐壺帝の妻の一人。右大臣の娘。後宮の七殿五舎のうち,弘徽殿に住んでいた女御。女御は皇后,中宮に次ぎ,更衣より上。桐壺帝の第一皇子(後の朱雀帝)の母。桐壺帝が桐壺更衣を寵愛したことで彼女や光源氏を憎む
桐壺帝から朱雀帝に代わると弘徽殿大后(こきでんのおおきさき)に(大后は皇后の意にも皇太后の意にもなるらしい)
↓七殿の方が格上であり,桐壺なんかは端っこにある
なお冷泉帝の妃にも弘徽殿女御がいる(弘徽殿は場所,女御は位なので)。こちらの弘徽殿女御は桐壺帝の妃の弘徽殿女御の妹の子,つまり姪(父は頭中将)
■藤壺(ふじつぼ)
最後は光源氏との関係を断つため出家した
初登場時に左大臣だった人。後の人事異動によって太政大臣になったり,別の人が左大臣になるので注意。徳川家康は内大臣→右大臣→太政大臣と昇進しており,その時ごとに「右府どの」とか「内府どの」とか呼ばれる。豊臣秀頼も内大臣→右大臣となっており,徳川秀忠は内大臣→右大臣→太政大臣となっている
本項の左大臣は恐らく藤原氏。ライバルは右大臣。葵の上や頭中将の父。光源氏の舅。摂政,太政大臣にまでなる。なお左大臣の方が右大臣より上である
■右大臣(うだいじん・みぎのおとど)
恐らく藤原氏。弘徽殿女御(桐壺帝の妻にして朱雀帝の母)の父。朱雀帝の外祖父(母方の祖父)。外戚として権勢を振るう。右大臣の娘(右大臣の四の君;弘徽殿女御の妹)と左大臣の嫡男(頭中将)が結婚したのは政略結婚。朧月夜という娘(六の君)もおり,彼女は朱雀帝,光源氏と三角関係になった(この発覚が須磨謹慎のきっかけ)
太政大臣にまでなる。悪役として悪大臣と表現されることも?
■葵の上(あおいのうえ)※「葵」という帖がある
左大臣の娘で,光源氏の最初の「北の方」(正妻)。夕霧を産む。桐壺帝の姉妹の娘であり,光源氏より4歳上の従姉。きょうだいに頭中将がおり,頭中将は光源氏の義兄に当たる。光源氏より先に他界
■頭中将(とうのちゅうじょう)
左大臣の嫡男。右大臣の娘(弘徽殿女御の妹)と政略結婚した。光源氏の従兄で義兄にして好敵手。頭中将とは蔵人頭と近衛中将を兼任した者の呼び名。“その後,権中納言,右大将,内大臣を経て,最終的には太政大臣まで出世”(ウィキペディア「頭中将」)
※左大臣,右大臣は本名が書かれておらず,別の地位に代わると別の人間が左大臣,右大臣になるのでややこしい。弘徽殿女御についても言える。つまり三国志で車騎将軍のみで紹介されても困るということ
頭中将も帖によっては内大臣と書かれるのでややこしく,『源氏物語』を敬遠する理由の一つになっていそう
頭中将(内大臣)の娘も弘徽殿女御(冷泉帝の妃)になる。つまり外戚? やはり藤原氏のようですね
■朝顔(あさがお)
桐壺帝の弟の娘で,光源氏の従姉妹。光源氏と互いに好意を持っていたが,男女の関係にはならなかった。斎院(両賀茂神社に仕えた皇女)となり,未婚のまま出家
■六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ,ろくじょうみやすどころ)
二十歳の時に,当時の東宮(皇太子)に先立たれてしまった未亡人。年下の光源氏と恋仲になる。屈折した思いから生霊と化し葵の上らをひどく悩ませる
斎宮に選ばれた娘(死んだ東宮との間の娘)に付き添って伊勢に行き,その後は出家した。死後も霊として出た模様
光源氏は彼女の娘には手を出さず養女とし,冷泉帝(自身の子)の女御として入内させた(斎宮女御,梅壺女御,秋好中宮)
彼女が住んでいた邸宅及びその周辺は後に再開発され,広大な寝殿造の光源氏の邸宅となった(六条院)。大きさは四町(250m×250mくらいの面積?)もあり,春の町,夏の町,秋の町,冬の町の四区画に分かれていた
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■空蝉(うつせみ)※「空蝉」という帖があり,その前の「
父の死によって後ろ盾を失った,貴族の娘。前妻をなくした伊予介という官位の男に後妻として嫁いでいる。伊予介と前妻の間に生まれた娘,軒端荻とは年齢が近い
一度光源氏に迫られて関係を持つが,「身分が違う」とその後は関係を拒む。空蝉の弟,小君は源氏に仕える
■軒端荻(のきばのおぎ)
空蝉の夫・伊予介の,前妻との間に生まれた娘。光源氏が空蝉を狙って忍び込むが空蝉は逃げ,光源氏は代わりに軒端荻と関係を持つ
その後,発展はなかったが,和歌のやり取りはした模様
■夕顔(ゆうがお)※「夕顔」という帖がある
かつては頭中将の側室であった。光源氏と関係を持つが,ある日の夜,霊に襲われ,亡くなってしまう。非常にショッキングなシーン
頭中将との間に玉鬘という娘を残していた。光源氏は玉鬘を養女として引き取る。玉鬘はモテモテであったが,髭黒(初登場時右大将で,太政大臣にまで登りつめる男)に強引に妻にされる
夕顔を襲った霊は六条御息所の生霊と多くの読者は信じる。著者はそう明記していないが,著者が「これは六条御息所の仕業だったのである!」と書いても面白くなく,読者に自発的に気づかせた方が読者を楽しませる可能性がある
ショッキングなホラーシーンの一節:
「物に襲はるる心地して おどろきたまへれば 火も消えにけり」(「おどろく」は「はっと目を覚ます」)
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第一弾はこれくらいにします。しかし,ヒットするはずなのに,なぜ大河ドラマは源氏物語を扱わないのか? いろいろ調べたり考えたりしてみると
・フィクションであり,歴史ではない
→だから『光る君へ』は紫式部の物語になった
・話が長く,どこをカットするのかが難しい
・衣装代やセットなど金がかかりそう
・内容的に厳しい(一夫多妻制や強引に関係を持つなど)