フレイニャのブログ

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インドの王朝まとめ

中国の王朝(隋→唐→宋→元→明→清)なんかは割と定着しています。これは遣隋使,遣唐使日宋貿易元寇日明貿易日清戦争のように日本史との関係が深いからでしょう。これに対しインドに関してはアショーカ王とかカニシカ王くらいしか定着しておらず,この2人が同じ王朝なのかもあやふやです。中学レベル+αくらいの詳しさで,インドの前近代の歴史を見て行きましょう。

インダス文明(狭義には紀元前2600~紀元前1900)

インダス川流域(インド,パキスタンアフガニスタン

ハラッパー,モヘンジョダロの遺跡(この2つはパキスタン

インダス文字の解読は難航中のため,衰退の理由も不詳(気候変動,環境破壊?)

アーリア人の侵入(紀元前1500~)

インダス文明衰退後に侵入したと考えられるため,アーリア人の侵入がインダス文明衰退の原因ではないようだ

・北の中央アジアから侵入し,インダス川流域からガンジス川流域にまで進出。鉄製農具・武具の普及

先住民族ドラヴィダ人アーリア人の混血が進む

バラモン教聖典ヴェーダリグ・ヴェーダは賛歌集;奥義書のウパニシャッド)とカースト制度(司祭のバラモン,王族・武人のクシャトリヤ,庶民のヴァイシャ,下層民のシュードラ

十六大国時代(紀元前6世紀~紀元前5世紀)

・マガダ,コーサラ,アヴァンティ,ヴァンサ,ガンダーラなど

ガンダーラはアケメネス朝ペルシアの支配を受ける

クシャトリヤやヴァイシャが力をつける

・小国カピラヴァストゥの王子釈迦(紀元前6世紀~紀元前5世紀)が仏教をおこす

クシャトリヤ出身のマハーヴィーラヴァルダマーナ;紀元前6世紀~紀元前5世紀)がジャイナ教をおこす

・現在は廃れたがアージーヴィカ教というのもおこった

マガダ国のシシュナーガ朝(紀元前413~紀元前345)

・このころコーサラを併合?

マガダ国のナンダ朝(紀元前345~紀元前321)

・首都パータリプトラ(現パトナ)

・紀元前326,アレクサンドロス大王のインド侵攻

・紀元前323,アレクサンドロス大王死去

マガダ国のマウリヤ朝(紀元前322頃~紀元前185頃)

・首都パータリプトラ(現パトナ)

・初代チャンドラグプタナンダ朝を滅ぼす。セレウコス朝シリアセレウコス1世(アレクサンドロス後継者(ディアドコイ)の1人)と協定。ジャイナ教を信仰

・第2代ビンドゥサーラ(上記の子)セレウコス朝と友好

・第3代アショーカ[阿育王](上記の子)仏教に帰依し保護。宗教に基づくダルマ(法)に則って政治,官僚制,中央集権的帝国

マガダ国のシュンガ朝(紀元前180頃~紀元前68頃)

マウリヤ朝の将軍だったプシャミトラ・シュンガがマウリヤ朝を滅ぼす

マガダ国のカーンヴァ朝(紀元前頃68~紀元前23頃)

サータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)(紀元前230~紀元220)

・マガダ国とは別の場所,南インドデカン高原中心に拡大。カーンヴァ朝を滅ぼす

ローマ帝国海上交易(季節風貿易)アラビア海で毎年6月から9月にかけて南西の風が,10月から5月にかけて北西の季節風が吹き,沿岸諸国の海上貿易,交通に大きな影響を与えていた”ウィキペディア「モンスーン」より)ギリシア系商人の書いた航海案内書『エリュトゥラー海案内記』

ナーガールジュナ(龍樹)が大乗仏教を体系化(北伝仏教として中国や日本に)

バラモン教が重視されたが仏教(アジャンター石窟群の第1期),ジャイナ教も発展

ヒンドゥー教カースト制度の根拠『マヌ法典』は紀元前200~紀元200に完成

クシャーナ朝(クシャーン朝;1世紀~375)

サータヴァーハナ朝の北,中央アジアから北インドに興ったイラン系王朝。パルティア,ローマと交易

カニシカ王カニシカ1世)仏教に帰依し保護。都をプルシャプラ(現パキスタンペシャーワル)に置く

クシャーナ朝の下でガンダーラは栄える(ガンダーラ美術ギリシア仏教美術

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・ヴァースデーヴァの時にサーサーン朝ペルシアのシャープール1世に敗れ,のちサーサーン朝の支配を受ける

グプタ朝(320~550)

・首都パータリプトラ(現パトナ)

・初代チャンドラグプタ1世(320~335)

・350頃,カシミール鳩摩羅什生まれる。大乗仏教に転向し,西域を平定した呂光(のちの後涼の天王)に保護され,401年長安へ(最初の三蔵法師

・第3代チャンドラグプタ2世(376~415;最盛期)サンスクリット公用語に。サンスクリットで書かれたマハーバーラタ』『ラーマーヤナがまとめられるなどヒンドゥー教が盛んに

東晋の僧,法顕がインド・スリランカを訪れる(仏国記)

・カーリダーサの戯曲『シャクンタラー』

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・5世紀前半にナーランダ僧院(仏教の学問所;世界遺産ja.wikipedia.org

・5世紀後半からアジャンター石窟群の後期

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・5世紀から10世紀までエローラの石窟群(仏教,ヒンドゥー教ジャイナ教

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・550年頃,中央アジアの遊牧国家エフタルの侵攻により衰亡

ヴァルダナ朝(606~7世紀)

・首都カーニャクブジャ(現カナウジ)

ハルシャ・ヴァルダナ(606~647)が北インドを平定。ヒンドゥー教徒で,仏教も保護

・628,数学者・天文学者ブラーマグプタが著書の中でゼロや負の数に触れる(ゼロの発見はこれより前)

・630頃,唐から玄奘三蔵法師)が訪れナーランダ僧院で学ぶ。玄奘の学識の高さに感動したハルシャ王は,美しく着飾った象に乗せて街を練り歩く栄誉を与えようとしたが本人が固辞したため玄奘の袈裟を乗せて巡回することになったという”ウィキペディア「ハルシャ・ヴァルダナ」より)この逸話が余程面白かったようで中田敦彦さんがYouTube大学で紹介している

ラージプート諸王朝(プラティーハーラ朝,チャーハマーナ朝,チャンデーラ朝など;7世紀~13世紀)

・673,唐僧の義浄がナーランダ僧院で学ぶ

・711頃からイスラム勢力のインド侵攻始まる(イスラム教は610年成立)

・1019,プラティーハーラ朝がイスラム教国ガズナ朝に滅ぼされる

・1192,チャーハマーナ朝がイスラム教国ゴール朝に敗れ,1195年頃滅亡

奴隷王朝マムルーク・スルターン朝;1206~1290)

・トルコ系イスラム王朝(デリー・スルターン朝の一つ)

マムルークは「解放奴隷」という意味なので,「奴隷王朝」とは奴隷が運営した国ではなく奴隷出身の軍人が建てた国ということ。ガズナ朝の創設者もマムルークであり,エジプトのマムルーク朝初代は奴隷出身の女性である

・初代はマムルークのアイバク

・1221からモンゴル軍のインド侵攻に晒される

ハルジー朝(1290~1320)

・トルコ系イスラム王朝(デリー・スルターン朝の一つ)

・モンゴル軍のインド侵攻に晒される

トゥグルク朝(1320~1413/1414)

・トルコ系イスラム王朝(デリー・スルターン朝の一つ)

・1327,モンゴル軍のインド侵攻に晒される

・1398,ティムール軍がデリーを攻撃

サイイド朝(1414~1451)

・トルコ系イスラム王朝(デリー・スルターン朝の一つ)

ローディー朝(1451~1526)

・アフガン系イスラム王朝(デリー・スルターン朝の一つ)

・1498,ヴァスコ・ダ・ガマカリカット(現インドのコーリコード)に到達

・15世紀末,尊師(グル・)ナーナクシク教を興す。カーストを否定

・1510,ポルトガルがゴアを占領(1961年にインドが武力で奪還するまで領有)

ムガル帝国(1526~1539;1555~1858)

・首都デリー,アーグラ,ラホール

イスラムスンナ派

・初代バーブティムール朝出身でティムールやチンギス・カンの血を引く。ムガルはモンゴルに由来)

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・第2代フマーユーン(バーブルの子)がシェール・ハーンに敗れ一旦滅亡

スール朝(1539~1555)

・シェール・シャー(シェール・ハーン)が建国したアフガン系イスラム王朝

↓名君と言われる

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ムガル帝国(1555~1858)

・第2代フマーユーンがデリーを奪還,帝国再興

・第3代アクバル:版図を広げる。ヒンドゥー教徒を妃に。非イスラム教徒に課されていた人頭税ジズヤを廃止

・第5代シャー・ジャハーン:39歳で死去した妃ムムターズ・マハルのためにタージ・マハルを建設させる(インド・イスラーム文化世界遺産

↓この記事のアイキャッチ画像は以下の記事にあります

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・第6代アウラングゼーブ(先代の3男):最大版図。熱心なイスラム教徒で,ヒンドゥー教を弾圧し,ジズヤを復活するなどの強硬策のため,自身の死後の衰退の原因に

・1674~1849にはデカン高原ヒンドゥー王朝のマラーター王国が起こり,ムガル帝国と抗争

・17世紀からイギリス,オランダ,フランスが進出してくる(オランダは英蘭戦争で敗れインドから手を引く)

・1719にはサイイド兄弟が1年で3人の皇帝を廃位するという専横

・1757,プラッシーの戦いイギリス東インド会社(ロバート・クライヴ)がムガル帝国ベンガル太守+フランス東インド会社に勝利。1763のパリ条約でフランスがインドから手を引く

・18世紀後半,マイソール戦争やシク戦争などでイギリス東インド会社による植民地化が進む

マラーター王国もイギリスに従属し,のち廃絶

・1857~1858のインド大反乱セポイの乱)「インドのジャンヌダルク」ことラクシュミー・バーイーが有名。反乱の失敗によりムガル帝国滅亡

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1877,イギリス領インド帝国成立(ヴィクトリア女王;第2次ディズレーリ内閣ヴィクトリアは英国の女王(Queen)であったがインド帝国の女帝(Empress)という称号であった。

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