フレイニャのブログ

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古文の勉強6:『源氏物語』第1帖「桐壺」その1

実際の文章を読んで古文の勉強シリーズです。前回の『枕草子』に続き,今回は『源氏物語』に挑戦します

原文はウィキソースを利用します

ja.wikisource.org

■桐壺帝が桐壺更衣を寵愛■

いづれの御時にか、女御(皇后,中宮に次ぐ妃)、更衣(女御に次ぐ妃)あまた(たくさん)さぶらひ(仕え)たまひ(尊敬語)ける(過去・連体形)なかに、いと(それほど)やむごとなき(高貴な;打ち捨てておけない;特別な)(きは)(身分)にはあらぬが、すぐれて(際立って)時めき(寵愛される)たまふありけり。

「いと」は「非常に」ですが,打ち消されているので「それほど」です。not so... ですね。

「やむごとなし」は「止むことがない」というのが原義のようですね。

「際」はここでは「身分」ですが,「ほど」にも「身分」の意味があります。次に出てきます。

「時めく」は「時流に乗る→栄える」ということから「寵愛を受ける」です。「寵愛する」は「時めかす」となります。現代語の「ときめく」(ワクワク,ドキドキする)と意味が違いますね。

最後の「たまふ」と「ありけり」の間には「お人が」のようなものが省略されているのでしょうね。

 

■他の妃たちの嫉妬を買い,桐壺更衣は病気に■

はじめより我は(私こそが天皇に寵愛されたい)と思ひ上がり(自負し)たまへる(尊敬の「給ふ」+存続の「り」)御方がた(他の妃たちは)めざましきものに(目障りな女だと)おとしめ(見下し)(そね)みたまふ。同じほど(身分)、それより下臈(地位が低い;年功序列の中で低い;修行年数が少ない)の更衣たちは、ましてやすからず(心穏やかでない)。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もり(積み重なった結果)にやありけむ(あったのだろうか)、いと篤しく(病気が重く)なりゆき、もの心細げに里がち(実家に帰っていることが多い)なる(帝は)いよいよ(ますます)あかず(満足することなく,飽きることなく)あはれなる(愛しい)ものに思ほし(思うの尊敬語)て、人のそしりをも(はばか)らせたまはず(気にすることもお出来にならず)、世のためし(前例,語り草)にもなりぬべき(きっとなるだろう)御もてなし(帝の桐壺更衣へのお取り扱い)なり。

「目覚まし」は褒めて言うこともありますが,「目障りな,気に食わない」が重要なようです。

初め「おとしめ」を「陥れる」の意味と誤解してしまったので「ものに」が理解できませんでしたが,「おとしむ」は「見下す」でした。ならば「ものにおとしむ」は「ものだと見下す」でしょう。

「同じほど」の「ほど」はここでは「身分」です。

「心をのみ動かし」は「感動させる」だと前後関係がおかしいので,「心を(かき)乱す」とかいった意味でしょうね。

デカく表示した「を」の前後で主語が変わっています(前は桐壺更衣,後は桐壺帝)。「を,に,が,ど,ば」の前後で主語が変わりやすいことの実例です。

「病気が重い」の「篤し」は「重篤」に現れていますね。

愈愈(いよいよ)」は「ますます;きっと」だそうです。「治癒」の「癒」から「やまいだれ」が無くなった漢字です。

「あはれなり」は心に迫る様々な感情を表すようですが,ここは桐壺帝の桐壺更衣への感情なので「愛しい」でしょう。

「思ほす,(おぼ)す,(おぼ)し召す」は「お思いになる」という尊敬語です。

「え憚らせたまはず」は「え……ず」(……することができない)と「憚る」と「たまふ」(尊敬語)の組み合わせです。「給ふ」は四段活用なら尊敬語,下二段活用なら謙譲語らしく,注意が必要ですね。

「給ふ」(四段)給ず/給て/給/給とき /給ども/給

「給ふ」(下二)給ず/給て/(給)/給ふるとき/給ふれども/○

終止形が同じですが,謙譲語の「給ふ」には()がついており「給ふ」の場合は基本的に尊敬語と思っていいのでしょうね。「給ふる」とか「給ふれ」の場合は謙譲語ですね。否定の場合は「給はず」なら尊敬,「給へず」なら謙譲と,慣れたら判別できそうですね。なお完了・存続の「り」は四段の已然形に付く(サ未四已(さみしい))ので「給へり」は尊敬「給ふ」+完了・存続「り」です(思ひ上がりたまへる御方がた)

「世のためしにもなりぬべき」は「語り草になるに違いない」という意味みたいですが,「ぬべき」の「ぬ」を打消の「ず」と読まないことが肝要ですね

「ず」:ず・ざら/ず・ざり/ず/・ざる/ね・ざれ/ざれ[打消:未然形に付く]

「ぬ」:な/に//ぬる/ぬれ/ね「完了・強意:連用形に付く」

上のように「ぬ」は「打消」にも「完了・強意」にも登場しますが,「べし」に繋がる場合は「打消」は「ざるべし」(例えば「……ざるべからず」),「完了・強意」が「ぬべし」です。更に言うと今回は「なりぬべき」となっており,「なり」は未然形ではなく連用形なので,未然形に付かねばならない打消ではないと分かります。

 なりぬ:「なる」の連用形「なり」+完了・強意の「ぬ」→「なりぬべし」

 ならず:「なる」の未然形「なら」+打消の「ず」→「ならざるべし」

 参りぬ:「参る」の連用形「参り」+完了・強意の「ぬ」

 参らぬ:「参る」の未然形「参ら」+打消の「ず」の連体形

ただし上一段(み,み,みる,みる……)・上二段(き,き,く,くる……)・下一段(け,け,ける,ける……)・下二段(け,け,く,くる……)は未然形と連用形が同じなので,「ぬ」自体が終止形(完了強意)か連体形(打消)かで判断する。

「ね」についても完了強意の命令形,打消の已然形が存在する。「こそ……ね」の場合は已然形の「ね」なので打消となる。例えば「()こそ寝られね」は「寝てはいられない」,「人こそ見えね」は「人は見えない(けれども)」「色こそ見えね」は「色は見えない(けれども)」(こそ+已然形は逆接になりやすい)

 

上達部(かんだちめ・べ)(公卿)、上人(殿上人)なども、あいなく(気に入らない,つまらない)目を側め(目を逸らし)つつ、「いとまばゆき(恥ずかしい,見ていられない;まぶしい)人の御おぼえ(御寵愛;御評判)なり。唐土(もろこし)(中国)にも、かかる事の起こりにこそ(起こるからこそ)、世も乱れ、悪しかりけれ(悪かった)」と、やうやう(だんだん)天の下にもあぢきなう(苦々しい;つまらない)、人のもてなやみぐさ(悩みの種)になりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに(引き合いに出していくようになって?)、いとはしたなき(きまりが悪い;中途半端だ;そっけない;激しい)こと多かれど、(帝の桐壺更衣に対する)かたじけなき(有難い,勿体ない)御心ばへ(気配り;気立て;趣)のたぐひなきを頼みにて(桐壺更衣は)まじらひ(宮仕えする;交際する;まじりあう)たまふ。

「悪しかりけれ」は「悪し」の連用形「悪しかり」に,連用形接続の過去・詠嘆の助動詞「けり」が付き,係り結びで已然形の「けれ」になっています。

「悪し」:(しく・)しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ

「けり」:(けら)/○/けり/ける/けれ/○

なお,「悪し」は「わろし」よりも悪い状態です。よし>よろし>わろし>あし

「やうやう」は『枕草子』の「やうやう白くなりゆく山際」のそれと同じです。

楊貴妃は756年に死んでいますので『源氏物語』が書かれた頃(1000年頃?)には日本でも知られていたわけですね。

「つべく」の「つべし」は先ほどの「ぬべし」と同様,完了・強意の「つ」+「べし」です。

「ぬ」:な/に//ぬる/ぬれ/ね「完了・強意:連用形に付く」(ナ変型)

「つ」:て/て//つる/つれ/てよ「完了・強意:連用形に付く」(下二段型)

「心ばへ」は「気立て,気配り,趣」で,「心ばせ」は「気立て,気配り」です。

 

■桐壺更衣の父は既におらず,母はしっかり者■

(桐壺更衣の父)の大納言は亡くなりて、母北の方(奥様)なむいにしへの人(古い家柄の人;昔の人)のよし(由緒;風情;手段;旨)あるにて、親うち具し(揃う,備わる)、さしあたりて(目下,現に)世のおぼえ(評判;寵愛)はなやかなる御方がたにもいたう劣らず(負けることなく)、なにごとの儀式をももてなし(執り行う)たまひけれど、とりたててはかばかしき(頼りになる)後見(副助詞「し」)なければ、(一大事,事件)ある時は、なほ(やはり,それでも)拠り所なく心細げなり。

「事」は「一大事,事件」の意味になることがあり,現代語でもたまに聞く「……たら事だぞ」の「事」ですね。

「親うち具し」(親が揃っている)と「父の大納言は亡くなりて」が矛盾しているように見えますが,「親うち具し」ているのは北の方(桐壺更衣の母)のことのようですね。桐壺更衣20代,桐壺更衣の母40代,桐壺更衣の祖母60代,といったところでしょうか?

 

光源氏の誕生■

先の世(前世)にも御契り(因縁,宿縁;約束)や深かりけむ(深かったのだろうか)(桐壺帝と桐壺更衣の間には)世になく清らなる玉の男御子さへ(さえ,まで)生まれたまひ(お生まれになった)(桐壺帝は)いつしか(早く→赤子を見たい)と心もとながら(じれったく思う)せたまひて、急ぎ参らせ(桐壺更衣と赤子を参内させて)御覧ずる(御覧になる)に、めづらかなる(めったにない)稚児の御容貌なり。

光源氏が生まれた話をしているので,この「たまひ」が尊敬語であることは容易に予想できるのですが,一応「給ふ」は四段活用なら尊敬語,下二段活用なら「謙譲語」です。

「給ふ」:給はず/給ひて/給ふ/給ふとき/給へども/給へ[四段活用]

「給ふ」:給へず/給へて/(給ふ)/給ふるとき/給ふれども/○[四段活用]

「給は・給ひ」は尊敬で,「給ふ」も十中八九尊敬。「給ふる・給ふれ」は謙譲。ここまでは簡単ですが,「給へ」は尊敬の已然形・命令形,謙譲の未然形・連用形にあるので慎重な判別が必要です。「……給へ(命令)」は必ず尊敬ですね。未然・連用・已然形だけもう一度書いてみましょう。

[未然形]〈尊敬語〉給はず 〈謙譲語〉給へず

[連用形]〈尊敬語〉給ひて 〈謙譲語〉給へて

[已然形]〈尊敬語〉給へども〈謙譲語〉給ふれども

尊敬の「給ふ」は四段,謙譲の「給ふ」は下二段,これは覚えておきたいですね。

「心許ながら」は四段活用動詞「心許ながる」の未然形です。「心許なし」は「不安・気がかり」のほか「じれったい」が重要です。

「せ給ひて」は尊敬の助動詞「す」に,さらに尊敬語の「給ふ」が使われています。尊敬+尊敬の二重尊敬です。

「参らせ」は「参る」(参上する)に使役の助動詞「す」が付いています。桐壺更衣が光源氏を実家で産み,帝は二人を内裏に来させたのでしょう。

「めづらかなる」は形容動詞「めづらかなり」の連体形です。「めづらし」という形容詞もあり,「めづらしき稚児の御容貌」でも成り立ったということ?

※桐壺帝の名前について:源氏物語には「光源氏が生まれた時の天皇」「朱雀帝」「冷泉帝」「物語が終わる時の天皇」の4代の天皇が登場します。最初の天皇の名前は明記されておらず,いちいち「光源氏が生まれた時の天皇」「光源氏の父に当たる天皇」と言ってられませんので,「桐壺更衣を溺愛した天皇」の意味で「桐壺帝」と読者が呼びました。

※桐壺更衣の名前について:彼女は後宮淑景舎(しげいしゃ)に住んでおり,そこの庭(=壺)に桐が植えてあったので淑景舎は桐壺と呼ばれました。桐壺更衣は「桐壺にいた更衣」です。「更衣」とは明記されていませんが,「女御」にならずに死んだ(死後,桐壺帝が彼女を女御に当たる三位に格上げさせた)ので「更衣」だったのだろうと読者が推測しました(皇后≧中宮>女御>更衣)

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与謝野晶子版現代語訳「桐壺」(青空文庫

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~おまけの単語勉強~

()つ」:四段活用・上二段活用なら,「濡れる,(ひた)る」

漬た/漬ち/漬つ/漬つ/漬て/漬て(「袖ひちて」=「袖が濡れて」;紀貫之

漬ち/漬ち/漬つ/漬つる/漬つれ/漬ちよ

「漬つ」:下二段活用なら,「濡らす,浸す」

漬て/漬て/漬つ/漬つる/漬つれ/漬てよ(「手をひてて」=「手を濡らして」;紀貫之土佐日記

「給ふ」:四段活用なら尊敬語

ず/給て/給/給とき/給ども/給

「給ふ」:下二段活用なら謙譲語

ず/給て/(給ふ)/給ふるとき/給ふれども/○

命令形の「給へ」は尊敬語,「給へず」は謙譲語ですね。

「今は、この世のことを思ひたまへねば、験方の行ひも捨て忘れてはべる」(もう私はこの世界のことは考えないものですから、修験の術も忘れております;『源氏物語』第5帖「若紫」):「たまへ」のあとの「ね」が打消「ず」の已然形なので,「たまへ」は未然形であり,謙譲語。なお現代語訳は青空文庫与謝野晶子版。北山の僧が,加持祈祷をしてもらおうと訪ねて来た源氏に言った言葉。

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無事お生まれになったので,ここで切ります。次は光源氏の異母兄(一の皇子;のちの朱雀帝)の話からですね。↓次回はこちら

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