まだまだ古文文法が身についていませんので,百人一首の有名なやつで古文文法を勉強し,経験を積めたらと思います。
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ
「名詞+を+形容詞語幹+接尾語み」で「名詞が形容詞なので」(和歌特有の表現らしい)。「
ということで「瀬をはやみ」は「瀬(川の浅くなっている所)の流れが速いので」
「せかるる」は「
「せく」は以下の3つ
・「急く」(四段):急ぐ,慌てる,苛立つ,急がせる
・「堰く・塞く」(四段):堰き止める(涙にも使う),妨げる
・「咳く」(四段):咳をする。「咳く」は方言として残っている模様
ということで「岩にせかるる滝川の」は「(水が)岩に堰き止められる滝川が」
「われても」は「(水の流れが)分かれても」
「末」はここでは「最後,未来,後の世」
「あはむ」は「会ふ・逢ふ」の未然形+推量・意志などの助動詞「む」
ということで「岩に堰き止められて川の水が分かれても,いつかはまた合流したいと思う」みたいな意味で,「離れ離れになった2人だが,いつかは(最後には)また会いたい」みたいな含意がある,恋の歌です
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ
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~おまけの勉強~
「怠る」(四段活用)は「なまける」のほか「病気がよくなる」に注意。物の怪が人を苦しめる(=病気の原因)のを怠るということ?
「悩む」「いたはる」(共に四段活用)には「病気になる」の意味もあるので注意
「いかにもなる」は「死ぬ」の意味もある(婉曲?)ので注意
「……くなむ」「……になむ」「……ずなむ」の「なむ」は係助詞と覚える:「……くなむ」は形容詞の連用形(美しく)+「なむ」,「……になむ」は形容動詞の連用形(あはれに)+「なむ」,「……ずなむ」は打消の助動詞の連用形(ず)+「なむ」。普通は係助詞は体言・連体形に付くからこれらは注意とのこと。係助詞なので係り結びしていることを確認するとなお良し。他に未然形+「なむ」で「……してほしい」(あつらえの願望),連用形+「な」+「む」で「きっと……だろう」(例.ねらざむもわろかりなむ)。「死なむ」は「死な」+「む」(いわゆる「なむ」の識別問題)
■崇徳天皇(第75代;在位1123~1142)
1119年生まれ。鳥羽天皇(第74代)の第一皇子。母は待賢門院璋子(大河ドラマ『平清盛』で檀れいが演じた)
1142年,3歳の弟,近衛天皇(鳥羽天皇の第九皇子;第76代)に譲位させられる。鳥羽法皇が院政。崇徳上皇は「新院」と呼ばれる。院政できなかったためか和歌の世界に没頭。“当時の歌壇は崇徳院を中心に展開した”(ウィキペディア「崇徳天皇」より)
※父の鳥羽上皇に譲位させられた理由は,鳥羽上皇が近衛天皇の生母の美福門院(大河ドラマ『平清盛』で松雪泰子が演じた)を寵愛したため
1155年,近衛天皇が17歳で崩御。後白河天皇(鳥羽天皇の第四皇子)が29歳で即位(第77代)
勝利:後白河天皇,藤原忠通,源義朝(玉木宏),平清盛(松山ケンイチ),信西
敗北:崇徳上皇,藤原頼長(山本耕史),源為義(小日向文世),源為朝
頼長は自害,為義は子義朝により処刑,為朝は伊豆大島へ配流
崇徳上皇は剃髪して投降→讃岐国へ配流。“天皇もしくは上皇の配流は,藤原仲麻呂の乱における淳仁天皇の淡路国配流以来,およそ400年ぶりの出来事だった。同行したのは寵妃の兵衛佐局と僅かな女房だけだった”(ウィキペディア「崇徳天皇」より)
1164年,配流先で崩御(46歳;暗殺説あり)
なおこの歌は崇徳院が久安六年(1150年)までに集めさせた「久安百首(崇徳院御百首)」に収められ,また1150年~1152年に成立した崇徳院の命による勅撰和歌集「詞花和歌集」にも選ばれており,保元の乱以前に詠まれたことになりますので,配流先で詠まれた歌ではないことになります。先ほどの「和歌の世界に没頭」の時期に詠まれたのでしょうかね
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↓『平清盛』で崇徳上皇を演じた