フレイニャのブログ

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東大の文法問題から表現を覚えましょう(28)2008年度

四阿

(27)に引き続き,(28)です。2008年のを見ます。

 

下線部 (1)~(5) には文法上あるいは文脈上,取り除かねばならない語が一語ずつある。その一語を答えよ。

 

  I have had a hard time explaining what it means for me to "speak" three languages. I don't think of it as "speaking" them --- it feels more like I live in them, breathe them. (1)There was a time in my life when I was trying to explain that I was not really multilingual, but rather than monolingual in three languages. That's how it felt for those years when my life was really split between three worlds. (2)Today I hardly seem to have settled into a more integrated lifestyle, one in which I weave in and out of my three languages and the various worlds they are attached to. I keep track of my relations to them, a complex relation, never stable, always powerful, sometimes frightening or embarrassing, sometimes exciting, but never neutral.
  (3)I can see my life as a set of relations to languages, those that surrounded me, those I refused to learn, those I badly wanted to learn, those I studied professionally, those --- the intimate ones --- I think in, write in, am funny in, work in them. (4)Sometimes I catch myself envying intensely at those monolinguals who were born, grew up, have lived all their adult life in one language. (5)I miss the feeling of comfort, of certainty, of control I imagine they have, unaware as they usually are that it could not be otherwise.

 

文法的に成り立っているかの判別も難しいですが,文法的に成り立っている場合は余計な意味を付与している副詞や形容詞を削除しなければなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

では解説します。

I have had a hard time explaining what it means for me to "speak" three languages. I don't think of it as "speaking" them --- it feels more like I live in them, breathe them. (1)There was a time in my life when I was trying to explain that I was not really multilingual, but rather than monolingual in three languages.

まず下線部の前の文を読んでおきましょう。「私が3つの言語を『話す』とはどういうことか,説明するのに苦労してきた。3言語を話すとは『話す』というよりもむしろ3言語の中で生き,3言語で呼吸するといった感じだ」

なんとなく言いたいことはわかります。ただ話せればいいのではなく,息をするように自然に出てくるレベルだということですね。

では (1) です。There was a time in my life when I was trying to explain that I was not really multilingual, までは問題ありません。「人生である時期があった。説明しようと試みた時期が。私が本当は多言語使用者ではないということを」。著者は3言語使用の「多言語使用者(マルチリンガル,マルタイリンガル)」と言われているのですが,本当はそうじゃないんだ,と説明したかったということですね。

その心は先ほど訳した,下線部の前です。「まるで息をするように」は3言語には馴染んでいなかったということですね。各言語を非常に意識して(考えながら?)話すようなレベルだった,ということでしょう。

文法的誤りは次の but rather than monolingual in three languages にあります。ここは形を知っている必要があるでしょう。

(ア)but rather...「ではなくてむしろ……」。前方の not... と組み合わせ,not A but (rather) B「A ではなく(むしろ)B」となります。

(イ)rather than...「……よりもむしろ」。

本問の but rather than は(ア)と(イ)が混ざってしまっているのです。よって but を取って rather than にするか,than を取って but rather にするかです。2パターンしかないので総当たり,つまり両方試して訳しましょう。

(ア)I was not really multilingual,but rather monolingual in three languages「私は本当はマルチリンガルではなく,むしろ3言語のモノリンガルであった」

(イ)I was not really multilingual,rather than monolingual in three languages「私は本当はマルチリンガルではなかった。3言語のモノリンガルよりもむしろ」

(イ)は意味不明ですね。ということで(ア)が正解です(than を削除)

意味内容的には「3言語のモノリンガル」とはどういうことでしょうか。「モノリンガル」は1言語だけ話せるという意味ですので,「3言語のモノリンガル」とは矛盾した表現に思えますが,「3言語それぞれでモノリンガル」という意味でしょう。英語を話すときは英語に集中して,ドイツ語を話すときはドイツ語に集中して話せる,ということではあるものの,英語とドイツ語を自在に切り替えて話したりはできないということ,そしてそれができる人,息を吸うように多言語を切り替えて話せる人が「本当のマルチリンガル」だと言いたいのでしょう。

 

That's how it felt for those years when my life was really split between three worlds. (2)Today I hardly seem to have settled into a more integrated lifestyle, one in which I weave in and out of my three languages and the various worlds they are attached to.

「そんな風に,私の生活が3つの世界に分裂していた年月は感じていた」。もしかすると著者が話せるという3言語とは,英語とスワヒリ語と中国語のようになんの語源的関係も持たないような言語なのかもしれませんね。では (2) を読んでみましょう。Today I hardly seem to have settled into a more integrated lifestyle「こんにち私はもっと統合された生活スタイルに落ち着いたようにはほとんど思えない」integrated「統合された」は重要単語です。東大受験では必須単語ということになるでしょう。数学のインテグラルは積分記号で,「全て合わせて面積を計算する」といったイメージですので,その数学のイメージから覚えるのも手です。integrity は「統合性」から,「性格的に欠けるところがない」すなわち「高潔さ,清廉潔白」の意味を持ちます。

さて賢い人(ちゃんと意味をとって考えた人)はこの時点で意味がおかしいと気づくでしょう。以前の私は「3世界に分断していた」のです。それが成長して多少はマシになったと言うのが流れではないでしょうか。だから hardly を削除すれば,「こんにち私はもっと統合された生活スタイルに落ち着いたように思える」となり,自然な繋がりとなります。

もちろん,one in which I weave in and out of my three languages and the various worlds they are attached to の部分に文法的誤りがないのを確認せなばなりませんね。まず one in which が one which ではないかと思う人がいるかもしれませんが,どちらもあり得る形です。そして one in which のあとは成立した文,one which のあとは成立していない文(主語か目的語が欠けた文)が続きます。one in which で OK と言うからには,I weave in and out of my three languages and the various worlds they are attached to が成立した文でなければなりません。まず I weave in and out of my three languages は成立しています。これは展開すれば I weave in my three languages and I weave out of them のことですが,weave in は「縫うように入る」,weave out of は「縫うように出る」です。よって「私は3つの言語に縫うように出入りする」と言っています。つまりこれは著者が理想とした「3言語を自在に使い分ける」の比喩的な言い方ですね。次に and the various worlds they are attached to は my three languages と並列,つまり I weave in and out of のもう1つの目的語です。つまり「3つの言語と,様々な世界に縫うように出入りする」です。最後の they are attached to はまさに関係代名詞節(the various worlds which they are attached to)で,関係代名詞の後は成立していない文(主語か目的語が欠けた文)が続かねばなりませんから,to で終わっているのが正しいのです。例えば

・the book (which) I bought「私が買ったその本」は buy の状態で終わっているし,

・the book (which) I am interested in「私が興味を持っているその本」は in の状態で終わっているから正しいのです。

・the various worlds (which) they are attached to は,they が my three languages であることを理解することが肝要であり,また attach には「属させる」の意味があるので,「その3言語が属する様々な世界」です。

 

  (3)I can see my life as a set of relations to languages, those that surrounded me, those I refused to learn, those I badly wanted to learn, those I studied professionally, those --- the intimate ones --- I think in, write in, am funny in, work in them.

see A as B は「A を B として捉える,みなす」という意味ですので,I can see my life as a set of relations to languages は「私は私の生活を,言語に対する関係が集まってセットになったもの,と捉えている」といった意味で,ここに文法的誤りはありません。誤りがあるのは後ろの部分です。そしてその鍵は先ほど述べた〈関係代名詞の後は主語か目的語が欠けた文でなければならない〉という点です。例えば those that surrounded me は関係代名詞 that の後が,主語のない surrounded me になっています。関係代名詞自体が主語になれるから(この場合「主格の関係代名詞」と言う)です。次の those (which) I refused to learn  は逆に,主語の I が立っている代わりに learn の目的語がありません。そんな感じで最後の those --- the intimate ones --- I think in, write in, am funny in, work in them を見て下さい。--- で挟まれた語句は挿入で邪魔なので消すと those (which) I think in, write in, am funny in, work in them  となります。もうお分かりですね。最後の them はあってはならないのです。この them があっても良いと言う人は,先ほどの

・the book (which) I am interested in

 が,

・the book (which) I am interested in it

 で良い,と言っているのと同じことであり,関係代名詞の何たるかが分かっていないことになるのです。

 

(4)Sometimes I catch myself envying intensely at those monolinguals who were born, grew up, have lived all their adult life in one language.

(2)(3) と比べ,単純な答えすぎて逆に気づかない危険性が高いです。envy は I envy you.「お前が羨ましいよ」とか I don't envy you.「お前が羨ましくないよ(君でなくて良かったよ,お気の毒さま)」のように言い,❌I envy at you. とは言いません。よって at を削除するのが正解です。catch O Ving は「O が V しているところを目撃する」という意味であり,I catch myself envying は「自分が羨んでいるのを目撃する」→「気がつくと羨んでいる」という意味でしょう。

 

(5)I miss the feeling of comfort, of certainty, of control I imagine they have, unaware as they usually are that it could not be otherwise.

(5) は難しいと思います。まず I miss the feeling of comfort, of certainty, of control I imagine they have の部分に誤りはありません。一旦 I imagine を削除すると I miss the feeling of comfort, of certainty, of control they have は「彼ら(モノリンガル達)が持っている,安心感,確実感,コントロールしている感覚が私にはないのを寂しく思う」です。1つの言語しか話さないモノリンガルは母語だけは完璧に通暁しているので,母語を話すときは完全に安心なわけです。著者は中途半端に3言語使用なので,どの言語を話す時も完全には安心ではないのでしょう。先ほど削除した I imagine は関係詞連鎖というもので,「彼らモノリンガル達が持っていると私が想像する,」といった意味になります。

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unaware as they usually are that it could not be otherwise を見ましょう。unaware のところは分詞構文(being unaware からの being の省略)で,「無意識に(→彼らが持っている)」です。as they usually are は割り込んでおり,「彼らは普通無意識であるのだが」です。この割り込みのせいで見逃してはならないのが,that が unaware から直接繋がっているということです(以下の図参照)

unaware〈as they usually are〉that it could not be otherwise

aware that... で「……ことを意識している」,unaware that... で「……ことを意識していない」です。「it could not be otherwise であることを意識せずに,彼らモノリンガル達が持っている,安心感」です。

先に結論を言うと,it could not be otherwise に文法的誤りはありません。つまり (5) に文法的誤りはないのです。ということは文脈上の誤りですね。余計な意味を付与している副詞・形容詞を削除するのです。先ほどの (2) では hardly という否定の副詞を削除するのが答えでしたが,本問も同様で,否定の副詞 not を削除するのが正解です。

まず otherwise とはどういう意味でしょうか。一番有名なのは副詞で「さもなければ」です。今回は be otherwise となっているように形容詞であり,「違った風で」という意味です。面白い例文があります。

Some are wise, and some are otherwise.「一部には賢明なのがいる。また一部には違った風なのがいる」→「賢明な者もいればそうでないものもいる」

この例文が面白いのは,「違った風で」という意味の otherwise が,「賢明な」に当たる wise を含んでいること利用している点ですね。

先ほど言った通り答えは not を削除して unaware〈as they usually are〉that it could be otherwise にすることですが,どういう意味になるのでしょうか。could は現在の低い可能性を示し,「違った風になることがありうる」という意味です。「違った風になることがありうるということを意識せずにーー彼らは普通意識しないわけであるがーー彼らが持っている安心感というものを,私が持っていないことを寂しく思う」です。彼らモノリンガル達が母語を話す場合,不安になるとか,集中しないと日常会話もできない,なんてことはないわけです。でも私のように各言語を中途半端にマスターした者は「違った風になる」,つまり不安になったりする。そういったことはモノリンガル達は気づかない,と言っているわけですね。

いかがでしたでしょうか。(1)(4)は気づくべきなのでしょうが,全体的に難しいですね。今回は6割取れれば御の字で,4割とかになってしまう可能性もありますね。でも難しい場合は周りの受験生にとっても難しいので,30分も掛けてしまって第5問小説を解く時間が足らなくなったという最悪なことにならないようにしましょう。

次回は2009年度の予定です。

  

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