フレイニャのブログ

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アメリカ歴代大統領25-26(マッキンリー-T.ローズベルト)

アメリカ歴代大統領22-24」の続きです。20世紀に入ります。

 

(25)ウィリアム・マッキンリー(1843-1901;1897-1901)

※リンカン,ガーフィールドに続き暗殺された3人目の大統領

南北戦争に従軍した最後の大統領

1843年,オハイオ州で9人兄弟の7番目として生まれる

マウントユニオン・カレッジ,アレゲニー大学で学ぶ。フラタニティはシグマ・アルファ・イプシロン(ΣΑΕ)

1861年4月,南北戦争勃発

1861年6月,北軍に入隊。上官にオハイオ州出身のラザフォード・ヘイズ

1865年,大尉。最終的に少佐に名誉昇進

1867年,弁護士

1868年,ラザフォード・ヘイズオハイオ州知事に。マッキンリーは彼の選挙活動を応援

1869-1871,オハイオ州スターク郡の検事官

1871年,イーダ・サクストンと結婚

1876年,ストライキ,のち暴動を起こした鉱山労働者達を弁護

※鉱山を経営していたのはマーク・ハンナ(のち上院議員)であったが,彼はのちマッキンリーの政治的盟友になったという

ja.wikipedia.org

1877-1882,オハイオ州選出共和党下院議員

民主党候補に敗れ落選期間)

1885-1891,オハイオ州選出共和党下院議員

1890年,マッキンリー関税を提案(ベンジャミン・ハリソン政権

1892-1896年,オハイオ州知事

1892年の大統領選でマッキンリーは共和党候補の第3位に終わる。候補に選ばれたのはベンジャミン・ハリソン(現職第23代大統領)だったが民主党クリーブランドが大統領に当選

1896年の大統領選挙で民主党のブライアンに271-176で勝利,大統領に

※前述のマーク・ハンナが資金面でバックアップした

“マークは、政治的貢献に対する見返りと見られることを恐れて、マッキンリー政権においていかなる官職にも就かないと表明した。1892年には既に広言していたように、上院議員になりたかったのである”ウィキペディア「マーク・ハンナ」)

マッキンリーは,帝国主義的政策を採った

1898年2月,メイン号事件(メイン号がハバナ湾で爆発,日本人ボーイ,コック数名を含む260名以上死亡)

アメリカはスペインが設置した機雷が原因と主張。他に事故説,米軍の自作自演説(いわゆる陰謀論)がある

1898年4月-8月,米西戦争

※大統領は当初開戦に乗り気でなかったが世論に逆らいきれず?

※戦場はマニラ湾海戦,グアム,キューバプエルトリコ

T.ローズベルトキューバ戦線で英雄となった

1898年,ハワイ併合

クリーブランド大統領は1893年にハワイ併合を却下していた

1898年,アメリカの帝国主義的進出に反対するマーク・トゥエイン,「鋼鉄王」アンドリュー・カーネギー,哲学者ジョン・デューイクリーブランド元大統領ら,「アメリ反帝国主義連盟」結成(-1921)

1898.12,パリ条約米西戦争の講和

※スペイン領キューバ独立,アメリカの保護国に。西領グアム,プエルトリコアメリカに割譲。西領フィリピン群島をアメリカから2000万ドル受け取って割譲

※太平洋におけるスペインの力はなくなり,アメリカが太平洋の帝国に

1899-1902年,米比戦争

※1896年からスペインに対し武装蜂起していたフィリピン人アギナルドは独立のためアメリカに協力してスペインと戦ったが,アメリカの思惑は違った

1899.1,フィリピン第一共和国樹立,アギナルド大統領に

1899.2,アメリカ議会,(スペインがフィリピンをアメリカに2000万ドルで割譲するという)パリ条約を批准。独立を宣言したフィリピン共和国アメリカの主張が対立

1899.2月末,米軍,マニラを掌握

1899.6,国務長官ジョン・ヘイ,列強に対し,中国に関する機会均等を求めて門戸開放宣言

1899.11月,有色人種同士で戦うことに疑問を持った黒人兵ファーゲンら,米軍を脱走しフィリピン軍に参加

1900年の大統領選挙で再び民主党のブライアンに292-155で勝利し再選。前回より差が開いたので,大統領の政策は支持されたということか。副大統領はT.ローズベルト

1901.3月,アギナルド,米軍の捕虜に。フィリピン軍,敗北が決定的に

※なお米軍の軍政長官はダグラス・マッカーサーの父

※この後はゲリラ戦や蜂起が10年ほど続いた

1901年9月,マッキンリー大統領無政府主義に傾倒したチェルゴッシュにより銃撃され,9日後死去

※狂信的禁酒主義キャリー・ネイション,大統領の暗殺は飲酒の罰と不謹慎発言

北米最高峰,マッキンリー(6190m)は彼が由来であるが,2015年,オバマ大統領によりデナリが正式名称となった

1964年,アギナルド,94歳で死去

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(26)セオドア・ローズベルトルーズベルト(1858-1919;1901-1909)

初めてノーベル賞を受賞したアメリカ人1906年日露戦争仲裁により平和賞)

※昇格ではあるが就任時最年少の大統領(42歳10ヶ月)。ケネディは43歳

※Roosevelt は「ウザヴェルト」のような発音

 

1858年,ニューヨーク市で生まれる。父は成功した商人

※子どものころは喘息もちで病弱,運動で克服。彼のスポーツ好きは都会におけるスポーツの流行に影響した

1861年南北戦争勃発

※従軍しなかった世代。のちの米西戦争に従軍することになる。

1880年ハーバード大学を卒業

1882年,米英戦争におけるアメリカ海軍の歴史についての論文を書く

1882-1884年ニューヨーク州議会議員

1895年,ニューヨーク市公安委員長

1884年,母と妻アリスを同日に失う

ダコタ準州ノースダコタ州)に転居

1886年,イーディス・カーロウと再婚

1897年,アメリ海軍次官

1898年,米西戦争勃発(マッキンリー政権)。海軍省を辞し,第1合衆国義勇騎兵隊「ラフ・ライダーズ」を結成。任務はスペイン領キューバへの侵攻。同年7月のサンファン高地への突撃で活躍

※火星,金星についてのSFや,「ターザン」シリーズを執筆したバローズ(1875-1950)はこれに志願し不採用となっている

※米兵はマラリアに苦しんだという

※ローズベルトは「テディ」より「大佐」と呼ばれることを好んだ

1899-1901年,ニューヨーク州知事

※最近(2021.8)クオモ知事が辞任し,昇格ではあるが女性初のキャシー・ホウクル知事に

1900年の大統領選挙でマッキンリー再選。ローズベルト副大統領に

1901.9,マッキンリー銃撃され死去,ローズベルト大統領に昇格。42歳10ヶ月

1903年アメリカの画策によりパナマ,コロンビアより独立

※海軍力を背景にしたローズベルトの強硬外交は棍棒外交と呼ばれる

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1903年ライト兄弟,有人動力飛行に成功

※テレビ中継もない時代で『サイエンティフィック・アメリカン』を初め多くの科学者,雑誌がこれを信じなかった

1904年4月,セントルイス万博(-1904.12)

マックス・ヴェーバー岡倉天心も参加。日本は9館を開館。また,ジェロニモ,フィリピン先住民,アイヌなどが「人類学展示」される

1904年,アメリカ資本でパナマ運河建設開始(1914年開通)

1904年の大統領選挙で民主党のパーカーに336-140で勝利,選挙でも大統領に選ばれる

1904-1905年,日露戦争

1906年4月,サンフランシスコ地震。死者500~3000人

1906年ノーベル平和賞受賞日露戦争仲裁による)

ポーツマスは英・米共にあるがポーツマス条約アメリカの方

 イギリスのポーツマスハンプシャーにある

 アメリカのポーツマスニューハンプシャーにある

※他に平和賞受賞大統領はウィルソン,カーター,オバマ

1907年金融恐慌取り付け騒ぎ,ニッカーボッカー信託会社倒産,株価は前年度最高値から半減,失業者300-400万人

中央銀行がないことはアメリカ経済の脆弱性の原因とされた。連邦準備制度は1913年成立(ウィルソン政権)

1907年,マイケルソン=モーリーの実験で有名なアルバート・マイケルソン,ノーベル物理学賞を受賞(米国史上2人目)

1908年3月8日,ニューヨークで女性が女性参政権を求めデモ

※3月8日は国際女性デー

1908年,フォード・モデルT(T型フォード)発売

※流れ作業による大量生産で1927年までに1500万台生産

1908年,アメリカ連邦捜査局FBI)設立

1908年,ジェネラルモーターズGM)創業

1908年の大統領選挙で共和党のタフト民主党のブライアンに321-162で勝利

※ローズベルトは3期目は出馬しないという約束を果たした

※ブライアンは1896年,1900年,1908年に出馬して全敗。民主党ウィルソン政権で国務長官となった

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3期目は出馬しないということで引退したかに思えたローズベルトでしたが,タフト政権の時,ある意味とんでもない行動に出ます。なにせ,1908年時点でまだ50歳ですから。

20世紀に入り,重要事件も増え,なかなか大変になってきました。次回はタフト(27),ウィルソン(28)です。

 

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